音楽ダウンロード

2017年09月08日

ゾンビランド(2009)

青春やなあ、青春。
監督がエマ・ストーンに恋しちゃってる。
青春やで青春。

ジャンル映画なんだから楽しく作っちゃってついでに恋もしちゃえばいいじゃなーい。こんな映画に出来がどうの採点がどうの言ったって野暮じゃなーい。

リア充なんてみんなゾンビにして撃ち殺しちゃえば可愛い子の視線を独り占めできるじゃーん。

話は変わるけど、走るゾンビはいかがなものか論争がある。
この映画を観るとそういう論争が馬鹿馬鹿しくなる。ゾンビが走る理由はただ一つ、映画のテンポを早くできる。ただそれだけの理由だ。
90分の尺でサクっと出来上がっているのもそのおかげだ。

エマストーンの足元が這い上がるゾンビがやらしく見えるのは監督の欲望が乗っかってるからです。笑







posted by となーす at 07:15| Comment(0) | アメリカ映画(おすすめしない) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パーフェクトルーム(2016)

サクッと観られる。
そこがいい。

このご時世、敷居が低い映画、というのは大きなアドバンテージになる、と思う。
画だけで、どういう事態が起こっているのか一発で分かる。
そして最初から最後までお話のスケールが小さいまま、というのもいい。

アルフレッドヒッチコックがやりそうなストーリーなのに、あからさまに撮影技法の引用などやらないところも好ましい。まあ、古臭くなるからだろうけど笑

褒めちぎっているようだが、だからと言って名作とか傑作だというわけではない。家でテラスハウスを観る感覚で観るのがお似合いのお手軽作品であってそれ以上でも以下でもない。

映画で“そこそこ当てる”技術を目の当たりにしたような、そういう作品だった。





posted by となーす at 06:49| Comment(0) | アメリカ映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

沈黙 サイレンス(2017)

素晴らしかった。
さすがに何年も暖めていた企画だけあって、全編を通して迷いがない。
得意技のポップスクロニクルを全く使わないどころか音楽が一切ないのに最後まで全く飽きさせない。一流映画作家の仕事、というべきだろう。

私は基本的にスコセッシがそれほど好きではないが、今作は時間を忘れて最後まで楽しめた。
この重い題材、それから抽象的な台詞の膨大さを考えると、娯楽映画として面白い、というのは驚異的だ。

俳優陣も素晴らしい。
今作で最も難しい役はキチジローとイノウエさま、だと思うが、
この二役をそれぞれ窪塚とイッセーが完璧に演じきれたかどうかは微妙なところだと正直思う。イッセーは形態模写に逃げているところがあるし、窪塚はあの役の二面性を上手く捉えきれてない。
二人からすれば撮影の前に舞台で何度かやってから本番に入りたかっただろうなあ、と思う。この二役は台詞を覚えればいい、というものではない。観ていてこっちが悔しかった。
28年も暖めていた企画だけあって、他の要素が完璧な分、難しい役の二人のちょっとした至らなさがかえって目立ってしまう。

しかしこれほどまでに俳優のお芝居だけで魅せられてしまう映画は近年では全くなかったことに気付かされた。
そして劇場に観に行かなかったことを多いに悔やんだ。

posted by となーす at 02:44| Comment(0) | アメリカ映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

疑惑

これを前回観たのは月曜ロードショーの枠でだった。荻昌弘さんが終演後の解説で「大人が楽しめる一級の娯楽映画」と太鼓判を押していたのを思い出す。
おそらく私はそのころ10代だったが、たしかに無類に面白い映画を観た、との感想を持った。

あれから20年以上経ち、今回、再度見直したが、やはり無類に面白い映画だった。

ネタバレあります。

「鬼畜」のときに、この監督は解釈に幅を持たせるように作っているようだ、と書いたが、今作の桃井かおり演じる鬼クマの描き方などまさにその真骨頂と呼べる。
ラストはこの稀代のビッチ鬼クマの笑顔のストップモーションで幕を閉じる。
この笑顔を観る人によっては反省の色なし、悪党野に放たれる、と解釈するだろう。そのように受け取られるように幕を下ろしている。
たがよくよくドラマを追っていくと、鬼クマに将来の可能性がないことがわかる。
保険金は入らないことは確実だしホステスとしても全国的に悪評を轟かせてしまった、なにせ子どもに指をさされて「お前が殺した!」と法廷で叫ばれたのだから。
残りの人生を社会的信用をどん底まで落とした状態でスタートさせなければならない。
その前提で観るとラストの電車のシーンは見事で、車窓から大衆に目に晒され、逆にアッカンベーをやり返すが、電車が走り始めると、不安げな表情になったあと、カラ元気の笑顔でタバコを吹き上げる。
彼女が孤独に弱いことは観客にすでに提示されている。つまりこの女の微かな不安げな表情を観客は見逃さないようにすでにフリはなされているわけだ。桃井かおりの表情だけを追った長い長いカットの間、このキャラクターの頭の中を観客は想像する。我々はこの女の半生を見せられたばかりだ。電車に乗った人が考えることは大体決まっている。行く先(未来)のことか今しがた離れた場所(過去)のことかだ。
鬼クマが体を起こして笑顔を見せたとき、力強さや爽やかさを観客が感じるのはこのような理由による。
つまりこの女の行動原理の秘密が最後の最後、僅かな尺の芝居で観客だけに明かされたのである。これはそういうラストだ。


長台詞の応酬が大半の法廷劇の映画だからこそ、この無言のラストが際立つ。


野村芳太郎のフィルモグラフィーでは今作は最後の方に位置する作品のようだ。
長いキャリアの終盤に相応しい素晴らしい作品だった。








posted by となーす at 08:10| Comment(0) | 日本映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

鬼畜

山田洋次の後は師匠格の野村芳太郎作の本作。

ネタバレしますよ


すげえ面白いんだけど前半と後半で違う映画になったみたい。
多分前半が松本清張原作パート、後半は監督の創作、という気がする。
父子が二人で旅をする展開は「砂の器」もそうだったし。
観終わったあと、ネットでいくつかの批評や感想を読んだが、ラストの解釈が人によって違う。

私はあのシーン。緒形拳が子どもに見捨てられた、のだと読む。

面白いのはこの作品、最初から解釈に幅を持たせるように作っている。
印象的なのは、末っ子がご飯をおもちゃにして食卓をメチャクチャにし岩下志麻から激怒を買ってしまうシーン。
岩下志麻はあの出来事をきっかけに子供たちに殺意を抱くようになるのだが、あのカット信じられないくらい長い。可愛いから観客にとってはメチャ癒やされる。
芝居巧者の主演二人は、感情の流れをこれ以上ないほどハッキリ観客に伝える。子役が今ほど上手くないのにダレないのは周りが上手いからだ。長い癒しカットのあと、ガッツリ本線のドラマに引き戻す岩下志麻が素晴らしい。昔美人だったからこそプライドが傷つけられたのが我慢できない。セリフやシーンで説明されないバックボーンまて想像できる芝居をしている。物語の都合上、子役の場面が多い分、セリフ以外で伝える情報量を多くしているのだろう。

それから、緒形拳が青酸カリ入りのアンパンを子どもに無理矢理食わせようとしていると若いカップルに見つかるシーンが良かった。おそらく嫁と自分のかつての姿を思い出したのだろう。緒形は我に帰って大泣きする。若いカップルに見つかる方がその辺を歩いているおっさんに見つかるより情けない。こういうところがこの映画、ちゃんとしている。

ラストの解釈は子役の表情からではなく、それを受ける緒形拳の芝居から読み取れば明らかで、緒形拳は自分にとって最後の理解者を失ったのだ。絶望を演じる緒形拳の説得力たるや半端ない。




posted by となーす at 07:56| Comment(0) | 日本映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

家族はつらいよ

ネタバレあります

チャレンジと言えばチャレンジなのだが、やはりコメディセンスのない俳優さんばかりなので笑える箇所は残念ながらない。
思えば山田洋次のこれまでの作品には中心にスターがいた。渥美清は言うに及ばず高倉健、そして吉永小百合。前作「東京家族」では主人公は菅原文太が演じる予定だったと言う。
今作は意識的にスター不在のコメディを製作しようと試みているのだろう。
主人公家族の姓が「平田」とあるのは、平凡の平をとっているのだと思われる。
駆けつけた救急隊員が玄関で靴を揃える所作を丁寧にカメラが追ったり、名もなき平凡な人たちの生活だけでコメディを構築しようとしているのだと思うのだが、それがあまり徹底されていないのが気になる。
観客へのサービスか知らないが笑福亭鶴瓶がこの作品に登場したり、正蔵が「どうもすいません」と言ったり、どちらもあまり洗練されているとは言い難い。
それから他作品の引用を多く用いるときはこの人の場合、自信のなさを表している、と思っている。「東京物語」にラストを締めさせるとは何事か。

草野球のホームランが家族の再生のきっかけになるくだりや、橋爪功が照れくさそうに言うサンキューなど、要となるシーンは素晴らしいのに実に勿体無い。

あともう一つ、妻夫木聡の芝居が吉岡秀隆そっくりになって来ている。ポジションが吉岡秀隆のものだからだ。だったら吉岡秀隆にやらせて欲しいものだが製作委員会の意向に沿って妻夫木聡、なのだろうか。

永瀬正敏が渥美清の分身を全く違和感なく演じて見せたいくつかの作品と違い、山田作品に登場する妻夫木聡はキャリアとして余り得な関わり方をしていない、と思うがどうか?




posted by となーす at 22:00| Comment(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

幸福の黄色いハンカチ

netflixのラインナップに入っていたのでついついクリックしてしまった。
クリックしたら最後、ノンストップで全部観てしまう。今回もあっさり捕まってしまった。

前半で武田鉄矢が北海道の洋服屋でおばちゃん相手に服を買うシーンを観たらもう引き返せない。
それが夜明け前だろうが何だろうがとにかく最後まで観ずにはいられない。

この前同じくnetflixで「ジョーズ」を見始めたが、これは途中で辞められた。永らく「ジョーズ」は私にとって、途中で辞められないカテゴリに入る作品だったから意外だった。これは卒業した、と言って良いのだろう笑
私はジョーズを卒業した笑

何度観ても飽きない、というのは映画の最上級なのである。

このブログもだいぶ長くやってるが結論は
観始めたら捕まって最後まで連れて行かれる映画、が一番のおすすめである。

今回改めて感心したのはラスト。
観た方はご存知だろうが、鯉のぼりの竿に黄色いハンカチがたなびいているのを見つけるのは、観客→武田鉄矢→桃井かおり→高倉健の順番なのである。高倉健が気付くと同時にパーン、と効果音のような出だしの音楽スタート。
これが初見で観たときには全然わからなかった。なぜ登場人物たちより先に観客にチラッと見せてしまうのか。普通なら武田鉄矢が見つけたあとワンショットのハンカチに切り返すようなもの。

たぶんだが、観客に見つける喜びを提供したのだろう。
山田洋次も高倉健も観客の下の目線に入って観客に奉仕している。
よく言われる話だが山田洋次は自分の作品を劇場に観に行って一般の観客と一緒に観るのだそうだ。
観客が自分の映画のどこで笑って泣いているのか研究し尽くしている。
ハンカチを見つける順番に大衆娯楽映画の芸を我々は観るわけである。

順番と言えば、この映画、前半は武田鉄矢で笑わせ、後半は高倉健で泣かせる。見せ場が綺麗に分かれている。
武田鉄矢はいわばメインの高倉健へ観客を誘う前座の役割をこれ以上ないほど務め上げている。
この人も歌手時代は多くの前座を務めたらしいがまさにそれが生きている。

私は寅さんのシリーズも好きでよく観ているが回数で言うと今作を一番観ている。
高倉健の、日本の隅々にまで届いて欲しい、と言わんばかりの、祈りのような芝居はもう絶品なのである。

ちなみにアメリカ版リメイク「イエローハンカチーフ」もnetflixのラインナップに入っている。
こちらも観たが、丁寧に同じストーリーをアメリカ人に置きかえてはいるが、上で書いたような観客の下に入る、という芸までは再現できていなかった。
ウィリアムハートが喧嘩で相手を死なせてしまうシーン。ちょいと押したら倒れた相手の打ち所が悪かった、という流れになっていた。あああー、そうじゃない。オリジナルでは主人公にはあの場面、はっきり殺意があるんだよ。それくらい自分の気持ちにしか興味がなかった、というシーンなんだよ。
しかもこの殺人シーンの直後は旅館のシーンで太宰久雄登場、だからな。笑
あくまでもオリジナルは楽しい明るい空気を最後まで貫く。

などなどオリジナルと比較しつつ悪態をつきながら観た。

元々、「幸福の黄色いハンカチ」はピートハミル原作、アメリカ人のエピソードなのだ。
良い話を良い話として映画化するのではなく誰に届けたいか、作り手に相手の顔がはっきり見えているかどうかの違いが現れているのだと思う。

この映画の高倉健より今の俺の方が年上になってしまった。笑
名作を何度も観る楽しみ、というのはこういうところにもあって、高倉健がこの役をどういう心境でやっているか、表情から読み取れる。映画スターをこれまでは見上げて観ていたものが、上から包み込むように観られる。頑張ってんなあ、こいつ。みたいに。偉いぞ。

まあ、2年前に上げた記事と内容は変わらないと思うが、この映画は別格なので2度感想を書きました。















posted by となーす at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

オクジャ

一言で言ってものすごい。
こんなおぞましい映画、観たことない。
我々が生きている世界はもうとっくに呪われている。

まあとにかくすげえ映画です。
今youtubeで流している予告編でイメージする内容を100倍裏切るので、あまり予備知識なしで観た方がいいです。
最初の20分くらいはゆったり目な上にありがちな展開なので途中で辞めてもいいかなと思うかもしれませんが、そこで辞めたらもったいない。それらはちゃんと後々生きてきます。



ここから
ネタばれ注意

ポンの新作がまさかnetflix配信で公開とはなんと贅沢な!
「母なる証明」は黒澤明「天国と地獄」のラストシーンを現代向けに再構築して見事だったが、今作はそれに倣えば宮崎駿作品の再構築、と言っていい。
宮崎駿の裏も表も全部可視化したらこういう作品になるのではないか。というかこんな作品を本人に作ってもらいたかった笑


さらに観終わって驚いたのはnetflixでのレビュー欄。
レビュアーたちの評価が遺伝子組み換え食品に対する嫌悪の度合いに連動している。
嫌悪感が低いレビュアーにはどうも今作は退屈らしい。
君たちも私もラストシーンで屠殺場に並ばされた彼らと同じなのだぞ!


今年暫定一位です








posted by となーす at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | その他外国映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

湯を沸かすほどの熱い愛

全体的には良かった。
多いに泣かされたんですけど、
ちょっと最後は“泣き”の重ね過ぎな気がします。

今回はネタバレ注意です。




あの、最後のオチ。
普通に一回観ただけだとちょっと座りが悪かった。
座りが悪いはまだ良い言い方で、悪く言うとちょっと下品な気がした。

観終わってしばらくすると、なぜ座りが悪いのか分かった。
あれは「母ちゃんには入るべき墓がない」、というところを指摘する場面がないからだ。

もしかしたらシナリオにはあったのに完成品では削られたのかもしれないが。

この映画、実の母親に捨てられるエピソードが三つも出てくる。まあ、劇中語られはしないんだが、アムラー世代に「できちゃった婚」ブームがあった。可哀想なのはブームの頃はすでにバブルが崩壊していたことだ。
その頃から確かに15年くらい経っているから、こういう境遇の子も私たちが知らないだけで結構いるのだろう。
その前提が私は観ながら気がつけたけれど、さすがに墓のことは鑑賞中には思いつかなかった。

その2点を劇中に指摘するシーンがあれば、ラストのオチは反骨的な良い着地になったと思う。




posted by となーす at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

ツインピークス

放映当時は全く観ていなかった。
これ以前にフジの夜中やっていた「ヒルストリートブルース」は毎週観ていたのでマークフロストの名前は認識していた。
「ヒルストリートブルース」に対する愛は当時相当だったからこれも観てもおかしくなかったのだが、なんせリンチが食わず嫌いだった。
そんなわけで、初「ツインピークス」になったわけだが、
舞台になっている小さな田舎町の住人たちがみんなそこそこ裕福で浮かれ気分なのが今観ると衝撃的だ。生活不安が一切ない。
誰も彼もみんな趣味に興じるか、浮気も含めた恋愛に耽溺している。

経済的な自由を前提として町の中でだれが一番珍奇な享楽を得ているのか、上手くそれと気付かれずにやれているのか、ドラマの興味はそこらへんにある。

シーズン1の「序章」と「エピソード1」を観終わったところだが、これ、犯人興味ある?



posted by となーす at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | TVドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
最近のコメント