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2010年07月27日

「母なる証明」




母なる証明

この作品を撮ったのはボンジュノと言って
「殺人の追憶」や「グエムル」を撮った人で
その2本が優れた作品であったので
公開当時も劇場に観に行きたかったのだが
どうしても時間が取れず、見逃していた作品。



いやー
傑作でした。

これは
是非多くの人に観ていただきたい映画です。

作品の詳しい内容については
ほかのブログやHPで調べていただくとして(笑)

私のこのブログは
とにかく頭に思いついたことをつらつら
ネタばれなど気にせず
書きなぐるためのもの

読みたい人だけ読んでください。
この映画を実際に観た人にしか分からないことばかり
かもしれませんので

よく
映画を観終わった後、
誰かに無性に話したくなるじゃないですか

あそこがよかった、とか
あそこは、どうだ、とか


無性に話したくなるような映画はとにかく良い映画なんですよね

この「母なる証明」はそんな映画。



ラスト近く
主人公のおばさんが
“真犯人”として逮捕された青年に面会に行き、
「あなた、お母さんはいるの?」
と尋ねるシーンが本当に素晴らしい


似たようなシチュエーションの
黒澤明の「天国と地獄」のラストシーン
あれを数段上回っている。


いやはや凄いですよ


この人は凄い



映画のテーマは「殺人の追憶」のときと
ほぼ同じで
経済成長とともに人の心が変わりつつある社会の中で
そこから取り残される側にいる人の「こころ」や「気持ち」
なのだが、

「殺人の追憶」のなかで流れるあの印象的な曲
あの、なんとも“母性”を感じさせる曲、
あれが今回はまさしく“母”という実態として映画の中に登場した、
という感じだ。

しかし
母性とはなんだろうか

一言で言うなら
この映画は
女のなかにある“母性”を徹底的に映画という文法で
定義しようと試みた作品である。



その定義が素晴らしい。


殺人の容疑をかけられた息子のため
主人公の母は、息子の無実を証明するため
殺人事件を独自に捜査し始める。

という
ありがちな発端から
「母」はとんでもないところまで歩を進める


しかしそこまでなら大したことはない
息子のために社会規範を逸脱する、
そんな母は 偉大である
という結論に着地しないのがこの映画の大人なところで


きっちりと罪は罪として
逃れられぬ「殺人の記憶」をこの女に刻みつける。

さらに
殺人事件の捜査を通じて
現代を男“性”として生きることの
困難さや哀しみまで
その身に引き受けてしまうのである。
なぜなら
“母性”が共振してしまう、からだ。

これが
インテリの女ならともかく
普通のおばさんであるところが
この映画のミソなのである。


女ゆえに持ってしまった“母性”に振り回され
逃れられぬ「罪の記憶」を手にしてしまった
小さな母は
自己分析やカウンセリングを武器に
自分の背負ってしまった“業”と立ち向かうことなどしない

彼女が手にするのは
なんと
鍼、なのである




凄い映画だよなー

しまった
ぜーんぶしゃべっちまった(笑)





















ラベル:母なる証明
posted by となーす at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | その他外国映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

となーす映画評「イングロリアス・バスターズ」




どーした
タランティーノ!

ってゆう映画でしたね

彼は今、情緒不安定なんじゃなかろうか

最後まで見た方は分かると思うけど


映画館に観客を閉じ込めて
火をつけて
銃を乱射するようなシーンを撮るなんて

映画の作り手として
やはり尋常な神経じゃないんですよね



しかも映画のクライマックスがそれですからね



陰湿極まりない、とゆうか



「おい、お前、タランティーノ!大丈夫か?」
と言いたくなった



あんなに映画を愛していた男が
ユーモアもなくあんなシーンを撮るなんて
私生活で一体何があったんだろう

一言で言うとそういう映画です


タランティーノ映画とは思えぬほど
登場人物たちは皆、生彩を欠いているし、




その陰惨なラストまで通して観終わったあと
振り返ってよくよく考えてみると
この映画は
「逃げ道をふさがれる」
とか
「閉じ込められる」
のイメージがすごく多いのに気付く

“地下”とか
“印”とか





「パルプフィクション」を思い出して欲しいんだが

ブルースウィリスが地下に閉じ込められて脱出するシーンがある

ホモやろうどもの手から逃れて
一階の「武器ショップ」に辿り着くと
そこにはギラリと煌めく“日本刀”がおいてある。

自由を奪われた男の目の前に現れる“変な”「希望」

タランティーノの映画はいつもそれを描いていたはずなのだ。


「お尻の穴に形見の時計を隠して帰国する(by クリストファーウォーケン)」(笑)とか、ね


今度の「グロリアスバスターズ」には
ハッキリと
そういう“出口”がないのだ
登場人物たちの考える目論見はどれもすべて“失敗”する
そしてそれらの“失敗”はただの失敗として
何かの啓示をもたらすでもなく
すべて
“恨み”として蓄積していく

その結末として用意されるのが上述の映画館での大殺戮、なのである。


その上
ラストカットでブラッドピットに
「こいつはおれの最高傑作だ」とまで言わせるのだから



これは一体どうしたことか



しかし
たったひとつだけ
良いシーンがあった

映画の最初の方
ブラッドピット率いる特殊部隊が
捕虜にしたドイツ兵を残虐なやり方で仲間を売らせるシークエンスだ

「おい、お前、ちょっと来い」

呼ばれたドイツ兵が歩みよって来るのを
何故か
短いスローモーションで撮る


その兵が
「どれほど脅されようと仲間を売ることはしない。ファックユー」
と言い返し
ブラッドピットが
「ああそうかい、ならば」と
部下の“ガイキチ”アメリカ兵を呼び
この兵の頭を野球バットで殴らせる

ブラッドピットの容赦のなさをただ単に強調させるためのシーンでしかない
この場面

観ながら私は
この死に方は誰が何と言おうと“美しい”
と思った

意志が肉体の痛みや屈辱を凌駕する
野蛮な殺され方だからこそ、美しい。


そう
映画の閉塞感をこのシーンだけが打ち破るのである。



しかし残念ながら
本当はクライマックスとなるべきこのシーンはだいぶ映画の前の方にあるのだ


映画全体が殺戮を繰り返しながら
発する問いに
このシーンの
名も知らぬ男の“態度”が明確に解答を示している。



ただそれを作っている
タランティーノが無自覚であるだけだ








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