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2011年11月20日

相棒 劇場版II -警視庁占拠!特命係の一番長い夜ー



いいですよ
『相棒』の映画版は。

観始めて適当なところで床に就こうと思っていたのに、途中で観るのをやめられず最後まで観てしまった。
作り手の気合がみなぎっているのがよく伝わってくる良作で、娯楽作としてキッチリ2時間強たのしませてくれる。

ふりかえると『踊る大捜査線3』と話の発端は似ている。
偶然そうなったのかどうなのかはわからないし、わかったからといってどう、という話でもないのだが、
出来上がりはくっきりと分かれた。
あちらはいつも通りのお陽気ムードで進行し、(ただし主演織田の顔が終始鬼瓦)ラストは感動的な爆破シーンへと繋げる、といういつも通りのパターンというか良く言えば『必勝パターン』でせめたのに対し、
こちらは、劇場版2作にのみ限って言えば前作とはガラリと作風を変えてきた
警察機構内部のスキャンダルがらみの主軸のストーリー自体は、この10年くらいよくみかける、「公安警察の予算獲得悪あがき物」で新味はあまりないのだが、見せ方が巧い。

私がこのシリーズを気に入っているのは、
ひとえに水谷豊演じるヒーローの“身軽さ”で、
最初の方のシーンにある、
ロープを使って篭城犯の写真だけ撮りに上の階からつるーっと降りて行くくだりにみられるように
観客を気軽に映画の中に入っていけるよう誘導してくれる、かと思うと、
犯人探しの推理の場面では、常に一歩手前を走って、相棒と観客に『真実を発見させる』
見事なサーバントぶり、なのである。
このシリーズはこの人の“接客ぶり”が映画の魅力に直結しているのではないか、と思っている。
おそらく人気のTVシリ一ズの方も、水谷の接客に酔いしれるような感じで毎週観ているのだと思う。

そういう水谷の周りでできあがった“現場の一体感“が映画を本当に面白くしている。
現代の『男はつらいよ』シリーズ、といってもよいのではないだろうか。


posted by となーす at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月19日

ブラックスワン


ダーレン・アロノフスキーですね。『レスラー』で、評価を上げまくった。
私はこの人の映画を初めて観たんですけど、
本当は『レスラー』の方を先に観たかった、というのと
これの前にみたのが『さや侍』というのと、
お話がそっくりと言われている『パーフェクト・ブルー』をついこの前、観ちゃってた、というのがありまして、
正直、それほど面白い映画とは思えなかったんですね。
比較するのもなんですけど、『さや侍』の「人間を描く」ことへの誠実さを見せられたあとだと、この映画の人物描写は、なんと不真面目で、下世話なこと!と思ってしまうんですよね。

ある人が成長したり、ひと皮むけるっていうことを、真正面からでなく、ただ単にムチャクチャ斜めから見まくってるだけなんですよね、この映画。
結局、彼女が劇中で経験するのは、
お母さんとケンカして、お酒飲んで、バーで知り合った知らない男とチュウして、バレエ仲間とレズビアンプレイをして、くらいのこと。
え?、ひと皮むけるにしちゃずいぶん大人しいじゃねえか?
て気がするのです。
これらの出来事の間に幻覚が出てきたり、ホラー映画ばりに血が出てきたりして
なんとなく当人にとっては“深刻なこと″であることを説明してくれるのだけれども、
やればやるほど、なーんか“不真面目”で“的を”外してはないけど、“射てもいない”んですよね。
部屋の壁に貼った自分の写真が一斉に笑うシーンは『パーフェクト・ブルー』のまるパクりですけど、あれは主人公の女の子がアイドルだったからこそ、の表現なのであって、この映画の主人公にあのシークエンスは衝撃的でもなんでもない。

(笑)
なるべく悪口を書きたくないので
好きな映画の記事以外はあまり書きたくないんですけど、
最近の映画批評ってどうなの?
って、つい思ってしまったので。

私は『ブラックスワン』なんぞより、はるかに『さや侍』の方が映画として価値が高く、大人と小学生くらいの力量の差がある、と思ってるんですけど、世間的にはどうも逆みたいなんですよね
だから、『ブラックスワン』自体には特に書きたいことなんかないのにこうして記事をかいちゃってるんですよね。

今後はちゃんと好きな映画、語りたくなるような映画の記事だけうpするようにします。








2011年11月16日

さや侍



やっと観ました「さや侍」

これまでにライムスター宇多丸さんの批評も含め、いろんなところでこの映画が語られているのを目にして、そしてあまり評価が高くないことを知った上で、
だいぶ話題としては鮮度がおちた今
ようやく観ました

パソコンで作業しながらDVDで鑑賞、
という舐めきった感じで観始めたのですが、
ラスト10分は声を上げて号泣してしまう、という始末、でした。

いやあ、素晴らしかった。
松本兄さんの映画の中でも屈指の傑作、といって良いでしょう。
とくにラストのギャグ。
このイメージがかなり最初の方に思い浮かんでいたのではないかと想像するのですが、
このシーンの「やさしさ」に、おもわずDVDのそこのところだけ、リピートして2度観たくらいです。

この映画は
「お笑い」をモチーフにしているせいで、
松本人志のコントの“映画版”
もしくは、映画監督としてはまだまだ掛けだしの松本人志、
といった切り口で観ている人が圧倒的多数で、
ネット上で見られる批評はだいたい上の切り口のものが多いのですが、
私は
映画監督の松本兄さんを「大日本人」のときから
映画の本質を「日本人論」である、と見抜いた天性の映画作家であると心から尊敬しているのです。
その上で.今回の3作目『さや侍』はこの人のひとつの到逹点をなす出来、といえると思います。

松本監督の日本国内での評価より海外の映画祭での評価が高い、というのも当然で、
この人の作品を日本人論として最初から観ているかそうでないかの違いです。

そしてこの映画の良いところはズバリ
「与えるものが何ひとつない父と、その娘の話」であることで、
「与えるものが何ひとつない」という部分の主人公の設定が絶妙なのです。
自分の体ひとつを使って何も生みだせない父。
この残酷な、というか
リアリティがこの作品の日本人論の柱になっていて、
「若君」を笑わせれば無罪放免、という30日の行を、
この父は、人が考えた“ネタ”をひたすら自分の体を使ってやる、という、
実は当の本人にとってはまさしく“苦行”で、
結果に一喜一憂するのは周りだけ、という凝った構造。

この映画が、
時代劇であることは、こうした“不自由”な感じ、をより強調するためであることは間違いありません

この映画の素晴らしさは
主人公が自由を獲得するラスト10分にこそ真骨頂があり、
それまでのストーリーはむしろ、(主人公の娘も合めた)群集の“気分”をただ追っているだけ、という見方も出来るのです。
この辺が“日本人論“として映画を観ているかそうでないか、でだいぶ感想がかわるところかと思います。

いずれにせよ、「与えるものが何もない父」の“決断”を見つめる松本監督の視線のやさしいことと言ったらありません。
もう、思いだしただけで涙がこぼれます。

時代考証がどうとかそういうのは関係ねえ。
これは傑作です。
ラベル:さや侍
posted by となーす at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画(おすすめ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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