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2008年12月08日

となーす映画評「母べえ」

山田洋次の映画は、傑作「隠し剣 鬼の瓜」以降、質的な大転換を遂げた。




それまでの山田映画では、運命になすすベもなく翻弄され続けるしかないのが、
“大衆”であり“庶民”であった。
「たそがれ清兵衛」の岸恵子のラストの台詞を思い起こしてみればわかる。
確か「(父は)出世を望まず、そして決して腐らず・・」
と言っていた。
大衆の持つ夢は大抵の場合叶わない、でも、気持ちの良いやつだけは、人々の心に残る。
それで良い。
それが結論であった。
このへんのことは切通理作さんの山田洋次論に詳しい。



が、近作では、敢然と戦う庶民を真正面から堂々と描く。
近作、といっても前述の「鬼の瓜」そしてこれも大傑作「武士の一分」の二本だけだが。

その二本を受けて
この「母べえ」である。
結論から言うと
最初の一秒から最後の一秒まで、強い者に決して巻かれない家族の戦いの描写で埋め尽くされている、一言で大力作である。

家族、とは本来このような存在であるべきだ、山田はそう言っている。このような鋼の絆で結ばれた家族を描くのに、これほど適した時代は他にあるまい。

「男はつらいよ」シリーズ20年で培われた“家族論をドラマで展開する技術”は見事に、この映画で結実している。
本当に上手い。
松福亭鶴瓶の役など、山田映画ならではの光の当て方で、印象を残す。
この一家、「男はつらいよ」の“とらや”と、もう全く同じなのだが、それを同一のメンバーでなく、誰が入ってきても「とらや」と同じ場所が作れる、というのが今の山田映画である。
そこがそれまでの作品群との大きな違いなのである。


と、まあ、
この文章は映画を見ながら、実は書いている。
9割を鑑賞した上で、上までのことを書いた。

おや、

実は、
ラストまで

今、観終わって、えらく混乱している。

こりゃあ、大変なこっちゃだ。

山田がスパークした!(笑)



何というラストだろう。
何故、こんなラストを山田は置いたのだろう。

9割方、美しい映画が出来上がっているのに、
どうして最後をこんな、
観客を不安のどん底に突き落とすようなことをするのだろう。

これは凄いですよ、
いやあ、これは凄い。
山田は今、本当の気持ちをぶつけている、映画に。
失った家族、親しい隣人、死なずにすんだはずの人たち。
その、記憶が山田の中に甦ってきたのだろう。

そして、居ても立ってもいられないほど憤りを感じたのだろう。
これはそういうラストなのかもしれない。

はっきり言って衝撃的だ。
この何年かで観た映画の中で最も衝撃的なラストだと言っても良い。

しかし、思えばこの人も、“母”に対する思い、は格別のものを持っている。それは宮崎駿と同じだ。
「男はつらいよ」シリーズの傑作の一本、「寅次郎恋歌」を思い出す。
母の通夜の席で、博が親父に喰ってかかる。あのシーンだ。(見ていない人のために詳しくは書きません。見てください)


「母べえ」のラストは30年の時を超え、「寅次郎恋歌」のあのシーンへとつながった。
そう、何ひとつ解決はしていないのだ。

「武士の一分」で再び国民的映画作家に返り咲いた山田洋次の次の作品がこれ、である。
私はもう山田洋次に釘付けだ。
一作も目が離せないとはこのことだ。

全ての表現手法を自由自在に操ることが出来た上で、
この人はやり残したものを追おうとしている。
次作もきっと凄いことになるぞ
ラベル:母べえ 山田洋次
posted by となーす at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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