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2017年08月13日

家族はつらいよ

ネタバレあります

チャレンジと言えばチャレンジなのだが、やはりコメディセンスのない俳優さんばかりなので笑える箇所は残念ながらない。
思えば山田洋次のこれまでの作品には中心にスターがいた。渥美清は言うに及ばず高倉健、そして吉永小百合。前作「東京家族」では主人公は菅原文太が演じる予定だったと言う。
今作は意識的にスター不在のコメディを製作しようと試みているのだろう。
主人公家族の姓が「平田」とあるのは、平凡の平をとっているのだと思われる。
駆けつけた救急隊員が玄関で靴を揃える所作を丁寧にカメラが追ったり、名もなき平凡な人たちの生活だけでコメディを構築しようとしているのだと思うのだが、それがあまり徹底されていないのが気になる。
観客へのサービスか知らないが笑福亭鶴瓶がこの作品に登場したり、正蔵が「どうもすいません」と言ったり、どちらもあまり洗練されているとは言い難い。
それから他作品の引用を多く用いるときはこの人の場合、自信のなさを表している、と思っている。「東京物語」にラストを締めさせるとは何事か。

草野球のホームランが家族の再生のきっかけになるくだりや、橋爪功が照れくさそうに言うサンキューなど、要となるシーンは素晴らしいのに実に勿体無い。

あともう一つ、妻夫木聡の芝居が吉岡秀隆そっくりになって来ている。ポジションが吉岡秀隆のものだからだ。だったら吉岡秀隆にやらせて欲しいものだが製作委員会の意向に沿って妻夫木聡、なのだろうか。

永瀬正敏が渥美清の分身を全く違和感なく演じて見せたいくつかの作品と違い、山田作品に登場する妻夫木聡はキャリアとして余り得な関わり方をしていない、と思うがどうか?




posted by となーす at 22:00| Comment(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

幸福の黄色いハンカチ

netflixのラインナップに入っていたのでついついクリックしてしまった。
クリックしたら最後、ノンストップで全部観てしまう。今回もあっさり捕まってしまった。

前半で武田鉄矢が北海道の洋服屋でおばちゃん相手に服を買うシーンを観たらもう引き返せない。
それが夜明け前だろうが何だろうがとにかく最後まで観ずにはいられない。

この前同じくnetflixで「ジョーズ」を見始めたが、これは途中で辞められた。永らく「ジョーズ」は私にとって、途中で辞められないカテゴリに入る作品だったから意外だった。これは卒業した、と言って良いのだろう笑
私はジョーズを卒業した笑

何度観ても飽きない、というのは映画の最上級なのである。

このブログもだいぶ長くやってるが結論は
観始めたら捕まって最後まで連れて行かれる映画、が一番のおすすめである。

今回改めて感心したのはラスト。
観た方はご存知だろうが、鯉のぼりの竿に黄色いハンカチがたなびいているのを見つけるのは、観客→武田鉄矢→桃井かおり→高倉健の順番なのである。高倉健が気付くと同時にパーン、と効果音のような出だしの音楽スタート。
これが初見で観たときには全然わからなかった。なぜ登場人物たちより先に観客にチラッと見せてしまうのか。普通なら武田鉄矢が見つけたあとワンショットのハンカチに切り返すようなもの。

たぶんだが、観客に見つける喜びを提供したのだろう。
山田洋次も高倉健も観客の下の目線に入って観客に奉仕している。
よく言われる話だが山田洋次は自分の作品を劇場に観に行って一般の観客と一緒に観るのだそうだ。
観客が自分の映画のどこで笑って泣いているのか研究し尽くしている。
ハンカチを見つける順番に大衆娯楽映画の芸を我々は観るわけである。

順番と言えば、この映画、前半は武田鉄矢で笑わせ、後半は高倉健で泣かせる。見せ場が綺麗に分かれている。
武田鉄矢はいわばメインの高倉健へ観客を誘う前座の役割をこれ以上ないほど務め上げている。
この人も歌手時代は多くの前座を務めたらしいがまさにそれが生きている。

私は寅さんのシリーズも好きでよく観ているが回数で言うと今作を一番観ている。
高倉健の、日本の隅々にまで届いて欲しい、と言わんばかりの、祈りのような芝居はもう絶品なのである。

ちなみにアメリカ版リメイク「イエローハンカチーフ」もnetflixのラインナップに入っている。
こちらも観たが、丁寧に同じストーリーをアメリカ人に置きかえてはいるが、上で書いたような観客の下に入る、という芸までは再現できていなかった。
ウィリアムハートが喧嘩で相手を死なせてしまうシーン。ちょいと押したら倒れた相手の打ち所が悪かった、という流れになっていた。あああー、そうじゃない。オリジナルでは主人公にはあの場面、はっきり殺意があるんだよ。それくらい自分の気持ちにしか興味がなかった、というシーンなんだよ。
しかもこの殺人シーンの直後は旅館のシーンで太宰久雄登場、だからな。笑
あくまでもオリジナルは楽しい明るい空気を最後まで貫く。

などなどオリジナルと比較しつつ悪態をつきながら観た。

元々、「幸福の黄色いハンカチ」はピートハミル原作、アメリカ人のエピソードなのだ。
良い話を良い話として映画化するのではなく誰に届けたいか、作り手に相手の顔がはっきり見えているかどうかの違いが現れているのだと思う。

この映画の高倉健より今の俺の方が年上になってしまった。笑
名作を何度も観る楽しみ、というのはこういうところにもあって、高倉健がこの役をどういう心境でやっているか、表情から読み取れる。映画スターをこれまでは見上げて観ていたものが、上から包み込むように観られる。頑張ってんなあ、こいつ。みたいに。偉いぞ。

まあ、2年前に上げた記事と内容は変わらないと思うが、この映画は別格なので2度感想を書きました。















posted by となーす at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

幸福の黄色いハンカチ


別に何きっかけでもないのだが
何気なくyoutubeで見始めたら結局最後まで観てしまった
前半は武田鉄矢のゲスっぷりが大いに映画を盛り上げ、
そして後半は高倉健の誠実な芝居に目が離せなくなる

これがたぶん4、5回目くらいなんだろうけどやっぱり最後は号泣させられた。

この徹底的に観客目線に合わせた娯楽映画っぷりはまことに素晴らしい。

普段働いていてたまに映画を観に行く客の生理をよく分かってないとこういう映画は出来ない

つい先日、TSUTAYAでDVDを5本借りて最初の数分観ただけで辞めたのを返しに行くと返却日を間違えてて1,600円も延長料金を払ったあとだけに、この貴重さが余計身に染みるわ

高倉健という俳優はやはり誠実だ。山田洋次と同じく、遠くにいる観客に届くように演じている。
絶品でした。


posted by となーす at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

となーす映画評「おとうと」



現在公開中の映画で私が観たい、と思っている映画は3本で、一本はイーストウッド作。これはすでに観た。残る2本は、キャメロン作の『アバター』。そしてこの『おとうと』だ。
シネコンの前まで行き、どちらでもいい、時間の合う方を観ようと思って出かけた。
で、選ばれたのはこちらの山田洋次作品朝10:35分の回だった。
公開がたしか1月の31日。
けっこうロングランしていることになる。
いずれにせよ、映画館に入るのは久しぶり。
まあ、どんな出来でも山田洋次作品ならば楽しめるはず。とくに今の山田洋次なら。



何も言うことはありません。
ただ、ただ、いい映画で、“正しい動機”で作られた佳作でした。

結婚式のエピソードで幕を開けるところや
主演の笑福亭鶴瓶に『寅のアリア』もどきをさせるところなど、
あいも変わらず渥美清の亡霊を追っかけているのか、と思いきや、
そうじゃないんですねえ、
山田洋次は「男はつらいよ」シリーズを含めた、山田洋次の『家族論』の決定版とも言うべき、最終章を作りあげていました。
これはそういう作品です。

私はこの、山田の結論に深く深く賛同しますし、
また、
この映画の良いところは、
寅の物語(「男はつらいよ」シリーズ)の最終章が作られたころの日本と、いまの日本は違っていて、
渥美主演の作品では、この結論にたどりつけなかったこと、
そのことが映画の中できちんと説明されている点にあります。


とはいえ、娯楽作として満点は決してつけられない作品なのは確かで、
始まってすぐの、母と娘の会話のシーンなども
なんだかセリフとセリフの間が悪くて「おいおい大丈夫か?」と思ったものです。

しかし、そういう意味での完成度をこの映画は最初から目指していない。
見ていくと次第にそれがわかってくる。

むしろ、
『日本の観客に伝えたいことがある』
それを動機にこの映画は作られているということがわかってくるのです。

では伝えたいこととは何か?
これは映画の後半になって登場する『みどりのいえ』です。


おそらく実在するのであろう、この施設の死生観、山田はこれを日本人全員に伝えたくてこの映画を作っている。
これを伝えることに映画の中の全ての力が結集されていて、その意味では映画に登場する全てのパーツに意味があり、間違ったものは何ひとつ置かれてはいないのです。

笑福亭鶴瓶がこの役を演じることの意味も後半になってようやくわかる。
名も知らぬ市井の人々の喜怒哀楽をテレビで大衆に伝えるのがこの人の芸で、それをこの人は、何十年もの間、やってきた。
だからこそこの役はこの人でなければならなかったのであり、渥美清の代役などでは決してないのですね。
そこが今回の映画の実は一番の見どころ、というか肝の部分だった、と思います。


前作『母ベえ』のときこのブログで私は、
山田洋次は、今やどんな題材であろうとも自分のスタイルに引きつけ、観客を楽しませる映画を作る力を持っている、と書きました。
この映画ではまさに、その山田洋次が語るベき題材を見つけ、日本人全員に向けて『伝え』ています。
それも“説教”臭くなることなしに、です。



山田映画を観続けてきた私にとっては、これは特別な作品であり、
またこの映画を観て
率直に感じたのは、
今、という時代が決して悪い時代ではない、ということです。

「男はつらいよ」の映像が2度も劇中に登場するのですが、「男はつらいよ」を日本国民が観ていたころ、そのころの日本人の心のあり方と今の日本人の心のあり方が違っていることがそれによりわかるのです。

「男はつらいよ」の思い出をこのように利用したことはこれまでの山田作品にはありません。

そして実は、山田洋次は、ある確信を持って物語の中に『価値』の転換を仕掛けています。
そのことに私は映画を観た翌日の朝、気づいたのです。

「帳尻が合ってない!」と。

すでに観た方ならわかると思いますが、
劇中で、おとうとの借金を肩代わりして、吉永小百合が失った130万円。
この帳尻が映画の中で合わされていないのです。

これはどういうことか、というと、
例えば、従来のハリウッド映画などであれば、
大抵の場合、この失なわれた130万円は、劇中、(多くは後半のどこかで)吉永小百合の懐に戻ってくるはずなのです。

おとうとが買った宝くじが当たるとかで、

それがないのです。


吉永小百合演じる姉は、130万円を失い、その対価としてこの経験を得た。
これはそのような見方が出来るということでもあるわけです。


70歳を越えた映画作家が確信を持って、これは130万の価値のある経験、もしくはそれを凌ぐ経験であると、ある意味では“値付け”しているところが、この映画の凄み、ではないかと思います。

これは貨幣価値への堂々たる挑戦状であると、私には見えました。
「価値の転換」を仕掛けている、というのはそういう意味です。



まあ、そんなわけで
観終ってみれば、「おとうと」は山田洋次の現時点での最高傑作と呼ぶにふさわしい作品でした。

山田は今、キャリアの絶頂期を迎えている。
見逃すな!







posted by となーす at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

となーす映画評「母べえ」

山田洋次の映画は、傑作「隠し剣 鬼の瓜」以降、質的な大転換を遂げた。




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ラベル:母べえ 山田洋次
posted by となーす at 04:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

となーす映画評「武士の一分」

監督 山田洋次
主演 木村拓哉
半年前からこの映画を観るのを楽しみにしてました。
山田の前作「隠し剣 鬼の爪」が素晴らしかったからですが、
最新作のこれも最高によかった。


時代劇三部作のうち、(前掲の「隠し剣」が二作目)一本目の「たそがれ清兵衛」において、山田は初の時代劇ということで気合を入れました。
その気合を入れてチャレンジしていたことのひとつが、「今の映画ファンと一体化する」ということでした。(これは映画を観て僕が勝手に思ったことです。山田が聞いたら「そんなことねえよ」っていわれるかも)
それゆえ「たそがれ清兵衛」では、いままでの山田とは全く相容れない表現や語り口が登場し、一応世間的には高い評価をうけはしたものの、それはただ単に奇をてらったいくつかの表現が、海外の批評家筋に新鮮に写っただけのこと、一本の映画としてみたならば、まさに暗闇のなかでやたらに刀を振り回す、みっともない作品でした。





実は、このみっともない(巨匠とは思えないほどの)試行錯誤を見ていて、当時、おや、と思った箇所がありました。

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posted by となーす at 17:25| Comment(1) | TrackBack(1) | 山田洋次作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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